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パロディの話

引き続き、もて王8巻を読んで思ったことをつれづれ書いてみる。


「くらえッ! アブラカタブラ・ファイナル・ドギューンパンチ!」

もて王80話より。
今のジャンプ読者のうち、何人が
「ドギューンパンチはラスボスちょい前の戦いで覚醒した新必殺技」
「ドゴーンパンチを胸の前でぶつけると
 アラビアンゲートが開いてドギューンパンチに進化する」
「ランプは両手でなければアラビアンゲートを開けないが、
 ラスボスのドグラマグラは片手でアラビアンゲートを開くことが出来る」
「アブラカタブラ・ファイナル・ドギューンパンチは
 ドグラマグラにトドメを刺した最後の一撃」

等々の設定を知っているのだろうか……
このネタは読者を笑わせるネタというよりも、
「このネタが理解できるか!?」という読者に対する挑戦ともとれるような気がする。


もて王のパロディネタで私が最も感心したのは、第2話の懸垂告白である。

「出た! 奥義「懸垂告白」!
 運動能力アピール度100%のこの技でどんな西野もイチコロだ!」
「西野限定かよ」
「そのまま手を離して首だけでぶら下がることができたら考えてもいいわ」
「マジで!? よーし!」
「気付け!! 遠まわしに死ねって言ってるぞ!!」

『懸垂告白』の持つ奇異性を前面に押し出しつつも、
決して元ネタを揶揄するような表現になっておらず、
それでいて「どんな西野もイチコロだ!」と歪んだ解釈で締めている。
その悠の歪んだ台詞に対するツッコミも忘れない。
そして後半は、元ネタとは無関係な方向で上手くオチをつけている。
パロディネタとはかくあるべきだと思う。


逆にいただけないネタの代表格は『静かなる夜のショー』である。
ネーミングや技の効果は別にいいんだけれども、
解説の「意識がGoodbyeしてしまう」という部分がいただけない。
無論これはサイレントナイト翔打ち切り時の車田正美コメントに由来するものだが、
まずこのコメント自体、車田正美の無念から出ているようなもので、
それを持ち出すのは不謹慎な気がするし、第一作品の内容と全く関係ない。
ネット上で時々見かける
『元ネタを知りもしないくせにどっかのテキストサイトに触発されて使ったネタ』
みたいな感じがして不愉快である。
サイレントナイト翔をネタにするんだったら、
神人類だのルーツだのシェルターだのチャージだのファルコン爆裂拳だのポテンシャル∞だの、
内容にからめたものをもってくるべきだと思うのである。
ファイナルドギューンパンチを持ち出すような大先生だったら、
当然サイレントナイト翔の内容だって知ってると思うのだが……

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