藤田和日郎モーニング行きのことについて
藤田和日郎の新連載は小学館の雑誌ではなく、講談社の雑誌から。
何がどうしてそうなったのか、いつその話が決まったのか、
『邪眼』のアオリは一体なんだったのか、細かい事は別にどうでもいいんだけど、
それについてちょっと思うこと。
もしこれが、藤田和日郎と小学館の縁が切れた結果のことであるならば。
そしてそれが藤田和日郎の希望によるものではなく、
小学館(サンデー編集部?)の意向によるものであったとするなら。
藤田和日郎を逃がしたことは、英断なのか愚行なのか、どちらなのだろうか。
信者補正を抜きにすれば、からくりの終盤はそれ程悪いというわけではなかった。
それなりには面白い内容ではあった。
ただ、信者補正を入れると……からくりの前半や、うしおととらの終盤を見た上で見ると、
やはり話のキレのなさが気になってしまう。
で、スピリッツの『邪眼』だが……
これについては信者補正を入れれば単なる駄作、
信者補正を抜きにしても、やはり微妙なものと言わざるを得ない。
信者としては口に出すのも恐ろしいことなのだが、それをあえて言うならば。
「藤田和日郎ってもう面白い漫画描けないんじゃないか?」
……このような恐怖を覚えてしまうのである。
全盛期に面白いものを描いていても、ずっとそれが描き続けられるとは限らない。
からくりの失敗(と個人的には思っている)を次に生かし、
また面白いものが描けるのならばいいのだが、
『邪眼』の印象からすると、その点に強い疑問を抱かざるを得ないのである。
果たしてどうなるか……
ということで、形はどうあれ藤田和日郎を手放すこととなったサンデー編集部の判断は、
必ずしも間違ったものではないと思うのである。
……久米田康治を逃がしたのは、間違いなく救いようのない程の大ポカだが。
(改蔵切ったのは英断だと思うけど)


