« 漫画に対する批判的な心情について考える その2 | メイン | 安定サンデー感想41 »

惰性サンデー感想40

<がっしゅ>
ゼオンのトラウマと、バオウに関する話。
父に対する反発がゼオンの原動力。
そしてその原因である真のバオウを目の当たりにして猛るゼオン。
……だが悲しいかな、清麿の危機感は既にゼオンでもデュフォーでもなく、
真の力を発揮したバオウに向けられているのであった。
今回の話でゼオンは完璧にバオウの当て馬にされてしまったような気がするが……
もはや送還確定と思しきゼオンに合掌。

……で、このままファウードごと魔界に送還されて、
ガッシュの親父に直撃インタビューを敢行する新章に突入するわけですか。


<武心>
いちいちスポーツをコケにするような発言が出まくるのは相変わらず癪に障るが……

「武道として存在する柔道の実戦の戦いがしたい」
と嵐は言っていたようだが、嵐にとっては「実戦の戦い」をすること自体が重要なのか?
あの本が説いていたこととは、自分が正しいと信じる道を貫くためには、
我が身を辞さぬ「実戦の戦い」にも身を投じなければならない時があることではないのか?
「実戦の戦い」とは目的を達成する上での過程であって、目的ではないのではないか?

所詮嵐は籠の中の小鳥。
「自分が憧れていた本当の武道の戦い」という言葉が全てを表しているような気がする。

『体術打』。
体重を乗せて打つ打撃。
ちょっと説明すると、これは『自分の体重が落ちる勢いを打撃に利用する』攻撃である。
感覚的な表現をするならば『相手に向かって水平に落ちる打撃』
こういう打撃は自身の筋肉の伸縮が打撃を生み出すのではなく、
自分の体重そのものを相手にぶつけて打撃を生み出すため、その威力は筋力には依存しない。
打ち手の体重と、それを打撃に変えるための技量がその威力を決定する。
ただし、この手の打撃には致命的な欠陥がある。
それは自分の『落ちる』力を利用するため、
『自分の体重を落として打撃に変えるまでには時間がかかる』
ということである。
手からリンゴを放して、それが一定距離落下するまでの時間。
その時間がこの打撃を打つためにはどうしても必要になるのだ。
したがって、打ち手が「打つ!」という意志を固めてから、
実際に打撃が打ち出されるまでの間にはタイムラグが生じる。
筋力でスパスパ打ち出す打撃に比べると、その時間は長すぎるのだ。
そしてその時間を縮める事は不可能である。
したがってそれを実際に相手にぶつけるためには、
体重を落とす動作をなるべく小さくするだとか、
相手にそれを悟られない、回避されないような立ち回りが必要となる。

なので、五条橋に打ち負けた流星が遅れたのは『スピード』ではなく、『タイミング』なのだ。


<アルバトロス>
穿った見方をすると、アイビスが素石を失ったのも、
彼らがその素石を取りに向かわねばならなかったのも、
全ては「ダイヤでなければ…いけないのです」この一言のためではないかという気がする。
アルバトロスの素石の謎。それについてちょっとだけ言及させるためだけに。
アルバトロスの素石を補充しようとする、という状況を作らせるために。
そしてユウキが勢いで単独行動をするハメになったのも、
分断されたメンバーがそれぞれ敵と出会いピンチに陥るハメになったのも、
それによって導かれた単なる結果であって、作者の意図ではないような気がする。
一言でいうと『話の都合』ってそれだけなんだけど。

このマンガ、『隠すほどでもない謎をいちいち引っ張り続ける』というのが気になる。
少なくともこれまで明かされた謎については、
それまでの記述から十分に予想される程度のもの――
――言わなくても十分分かる程度の謎――がほとんど。
今伏せられている謎についても、その答えは予想の範囲内だったり、
あるいは脈絡がなかったり勢いだけだったりするもののように思えてならない。

後、戦闘中に敵に背中向けて剣ほじくり出そうとするユウキは大馬鹿者を通り越してると思います。

コメントを投稿