らくえん的サンデー感想39
<がっしゅ>
あれ、強力になっても『バオウ・ザケルガ』のまま?
てっきり、呪文も変わってるものかと思ったが……
ゼオン戦を見ていると、テオザケルのありがたみを実感する。
だって、ザケルやザケルガ当たっても効かないもんなあ。
手軽に使えて高威力なテオザケル。DQで言うならメラミ。
こういう攻撃手段があってこそ、戦略の幅は広がるものではないか。
……復活してからほとんどザグルゼムを使わなくなったのは、
ザグルゼムに頼る必要性がなくなったこと以外に、
最近の戦闘では悠長にザグルゼム溜めてる余裕がないためと思われる。
ここでもしテオザケルが無かったとしたら、
いくら清麿が『答えを出す者』に覚醒していたとしても、
まったく勝負にならなかったであろう。
<ダレン・シャン>
『ポーの一族』を彷彿とさせられる内容であった。
もしかして原作はかなり古い小説で、
萩尾望都もこの小説を参考にしたのか気になったのであった。
作者の経歴調べたら結構若いのであった。
多分ポーの元ネタではないのであった。
誰が殺したクックロビンであった。
安心したのであった。
<犬>
個人的にはりんは生き返って正解ではないかと思うのであった。
子供の命を犠牲にして得るものなど、
少年漫画の世界では何も無いのであった。
編集部が許してもこの俺が許さんのであった。
<ケンイチ>
フィジカルに考えると、
地面に突き立てた杖のたわみを利用する事など不可能なのであった。
杖がたわむ前に自分が上にトンでっちまうのであった。
棒高跳びが棒のたわみを跳躍に利用できるのは、
水平方向の力を棒のたわみに変換してるからなのであった。
棒高跳びの棒を垂直に突き立ててもたわみは利用できないのであった。
どう考えても無茶なのであった。
いつも通りのトンデモなのであった。
納得できないのであった。
<ハルノクニ>
アクションシーンのしょぼさに涙がチョチョ切れるのであった。
<あいこら>
この『パーツの複製を作成する』ネタが多いと思ったのであった。
ややマンネリ化してるのではと不安になったのであった。
頭文字Dであった。
<兄>
そもそも、雨降ってる中どうやってドームまで行ったのか気になったのであった。
さっさと帰ればいいのであった。
<チルドレン>
ジョジョネタなのであった。
でもちょっとセリフが違うのであった。
うろ覚えであった。
………
……
…
らくえん調口調、やめ。
今回のジョジョネタで思ったこと。
GS美神の『ミクロイドGS』で、
体内の病魔とミクロ化した幽体で戦う、という展開があったが、
幽体がミクロ化できるという理屈がジョジョ3部の
『恋人』戦のそれと瓜二つなのが気になっていた。
(スタンドはエネルギーの映像だから小さくなれる)
これは何か別に元ネタがあって、たまたま両者が同じネタを使ったのか、
はたまたパク……
今にして思うと、これはジョジョ3部のあれのオマージュで、
『大きさが自由に出来るんだったら、
律儀に相手のサイズに合わせなくても、
相手よりも大きなサイズになって戦えばいいじゃん』
というあれに対する作者のメッセージだったのではないか。
今更だけど。
<武心>
次号新ルールって、公式試合でそんな事が許されるのか疑問に思うのであった。
というか、それだったら初めッから柔道の試合なんか、
やらなきゃいいのではと思うのであった。
戦う技術など、人間社会の中ではゴミ同然なのであった。
そんなものをありがたがってわざわざ『スポーツ』の中に持ち込む事に、
俺はどうしても納得できないのであった。
<アルバトロス>
どうしてこの連中は単独行動を好むのか気になるのであった。
大人しく待っていてダメな理由が何かあるのか疑問であった。
こいつらがこういう行動に出た場合、十中八九裏目に出るのであった。
作者の都合であった。
グダグダであった。
<見上げてごらん>
ここは戦場ではなくてテニスコートの中であった。
そんなところでは生き死にがどうとかなんて関係ないのであった。
テニスやってんだから、テニスの技術と経験を武器にしてほしいのであった。
リングの中は海の底ではないのであった。
海人ではないのであった。
ボクサーであった。


