2010年07月11日

いろいろ感想

<MAJOR>
もはやサンデーはとうの昔に投げっぱなしているのだけれども、
この漫画がとうとう終了したということをはつかりから聞いて大いに驚いた。
以下、回想。

はつかり「そういえば、MAJORがとうとう終わったよ」
わし「!! マジで!?」
はつかり「結局宇宙リーグまでは行かなかったな」

ミノル小林はわりとどーでもいい漫画だったけど、
このフレーズだけは妙に覚えてるんだよなー。
「茂野吾郎は……まだ戦っている!」

閑話休題。
基本的に俺は「テメーの理想に他人を巻き込む奴」「テメーの考えを他人に押し付ける奴」が、
現実でもフィクションの中身でもヘドが出るくらい大ッ嫌いなのだが、
吾郎についてはそこまでの嫌悪感を抱くことはなかったんだよな。
おそらくは、作者自身がそれを自覚して吾郎をコントロールしていたからだと思う。
所々で他のキャラから吾郎のゴーイングマイウェイっぷりに突込みが入れられていたし。
物語の山を過ぎてからも引き伸ばされてグダグダ続いていたり、
結局目立ちそうで目立たなかった眉村とか突っ込みたいところも多かったが、
なんだかんだで安定したクオリティを保ったいい漫画だったと思う。
グッバイ、茂野吾郎!


<SBR>
なんか、ジョニィのスタンドがLESSON4まで退化していたのが気になった。
重箱のスミつつき。
それはさておき、長々と続いたこの作品もいよいよクライマックス。
ジャイロはツェペリの宿命に殉じて斃れ、
その遺志とワザを継いだジョニィの、最終最後の回転がいよいよ炸裂する!!
……ジョニィも『ジョナサン』の宿命に殉じて斃れるんですかね?
とりあえず、今回の「最後の回転発動」の代償として、
「蚊が媒介する伝染病」を死因ナンバーワンの座から引きずり下ろさなければいいなと思いました。


<月光条例>
浦島太郎&フランダースの犬エピソードについて思うこと。
このエピソードからは、近年の藤田和日郎から失われつつあったものが感じされた。
其即ち「怒り」である。
うしとらを描く原動力は「怒り」であったと氏は語るが、
漫画家藤田和日郎の魅力はまさしく「理不尽なものに対する怒り」であると俺は思う。

で、浦島と犬のエピソードを見てみると、
「みんなの為に」浦島を玉手箱の生贄に捧げようとする乙姫達に月光は怒り、
さらに文句と愚痴と恨み言と連ねるだけの浦島にも怒り、
ネロを虐げたコゼツに対して怒り、自分の境遇を諦めるだけのネロにも怒る。
とにかく敵味方見境なしに月光が怒りまくるエピソードであった。

ただし、それらの怒りからは昔の藤田和日郎とは違うものも同時に感じた。

浦島に対するメッセージ:「男は甘い夢を見続けてちゃいけねえんだ」
ネロに対するメッセージ:「それでもガマンだネロ!」

昔の藤田和日郎からは「観念」がまずあって、
話の中ではその「観念」に結果がついてきているように感じた。
敢えて悪い言い方をするなら「奇麗事を言っていたらなんか解決しました」という感がある。
それに対して、これらのメッセージにはある程度の具体性がある。
そしてそれとともに「世の中甘いもんじゃねえ」というメッセージが見え隠れしている。
純粋な怒りだとか理想だとかでは世の中は動かないという現実を、
歳を重ねて理解した『今の』藤田和日郎のメッセージといったところか。
これは今の氏だからこそ描けた良質のエピソードであったと思う。

ただひとつ苦言を呈するのならば、フランダースの犬の改変オチ。
本来の物語のテーマは、不幸な境遇にあっても清貧を貫く尊さにあったと思う。
(勘違いだったらスミマセン)
ネロは「自分の利益よりも正しいことを貫く」という「自分のモノサシ」に殉じたわけだ。
ところが本作では財布をチョロまかすことでネロは天寿を全うしてしまう。
どうも、上のメッセージと改変後のネロの行動がズレているように思える。
「自分の人生を他人の価値で決めるな」「歯を食いしばって生きろ」
月光はこういったことをネロに強く言っていたのだが、
「命あってのモノダネ」という事は伝えていなかった。
つまりこのオチは、物語本来のテーマと真っ向から向き合わず、
自分が気に食わない展開を捻じ曲げた、ともとれるのである。
(重ね重ねいいますが、本来のテーマを勘違いしてたらスミマセン)

2010年05月30日

今更言うのもナンだけど

散々言い尽くされてることだろうが……
ぶっちゃけ、「月光条例」のエンゲキブって別にいてもいなくてもいい存在だよな……

つーか、だからこそトショイインが投入されたのだろうが。
バカでひねくれ者の主人公にはバカなヒロインよりも、
知的で常識人だけど、それ故にいかなる状況でも我が道を行く主人公をどこか羨ましく思う、
そんなトショイインの方がよっぽど合うような気がする。

つーか、編集サイドでもそれを十分わかっているのか、
日に日にエンゲキブの影は薄くなる一方だよなー。
ラストバトルの頃には背景の一部になっていてもいいくらいに。

2010年05月23日

さらにどうでもいいこと

「エターナルフォースブリザード」
一瞬で相手の周囲の大気ごと氷結させる
相手は死ぬ

困った事に、この技の名前を聞いた時、普通にカッコイイと思ってしまった。
これがいわゆる中二病を揶揄するネタだと知ってからも、
少なくともネーミングに関しては未だに違和感を感じていないのである。
なんでかなと思ってみれば――
「ライトニングプラズマ」だの「オーロラエクスキューション」だの、
「ギャラクシアンエクスプロージョン」だの「スターライトエクスティンクション」だの、
そんな名前の技ばっかり出てくる漫画を少年時代に読んでいたから、
その手のネーミングを普通に受け入れる土壌が出来上がっているためだと気がついた。

……カッコいいじゃないか、「エターナルフォースブリザード」。
でも個人的には、地軸を操作し時間を歪める「エターナルモレスター」の方が強いと思うな。
用途がアレだけど。

2010年05月22日

わりとどうでもいいこと

「らくえん」の可憐センパイ曰く、
「オタクは女を髪型、メガネの有無、乳のサイズでしか識別できない」
とのことである。
……全く失礼な話である。
識別基準がそれしかねーんじゃなくて、
キャラをそれでしか描き分けられない原画家が多いだけではないのか。

2010年05月02日

今更「我聞同人誌 夏休みの友」について考える

■「はじめてのあく」にやたらハダカが出てくる理由
この漫画のサービスカットはどうにも過剰な気がしてならない。
藤木氏のブログを見ると、どうもその影には天下無敵の少年サンデー編集部様の影があるようだが、
何故にこうまでサービスカットを盛り込もうとさせるのか?
つらつら案ずるに、藤木氏自身による我聞同人誌「夏休みの友」の影響が大きいのではなかろうか?
我聞本編ではとても考えられなかった女性キャラの裸体ラッシュと、
同人誌自体の評判の良さを結び付けて、
氏の作品にはサービスカットが必要不可欠であると判断したのではなかろうか?
だが、もしもそうであるならば、それは大きなミステイクである。
私が思うに、我聞同人誌が面白いのは國生さんの98%全裸によるものなのではなく、
当然桃子や果歩の未発育バディの露出によるものでもなく、
むしろあの漫画の魅力を引き出していたのは帖佐理来ではなかろうか?

「むこうは女湯!! こちらは健全な男衆!! 覗いちゃうに決まってんだろ!!」
「我々は何としても女体を拝む!!」
「……ぱい おっぱいおっぱいおっぱいおっぱいおっぱい(略)」
「今の俺はおっぱいの化身!!」

この侠(おとこ)がいたからこそ、我聞同人誌は輝いていたように思える。
で、「はじめてのあく」にこのタイプのキャラが存在するかというと……
赤城である。
我聞同人誌から学ぼうとするのであれば、
「はじめてのあく」ではやはり赤城を積極的に出していくべきではなかろうか?

……というのが個人的な感想なのだが、実際のところ世間的にはどうなんでしょう?
世間的には「國生さんの全裸が見られるのは我聞同人誌だけ!!」って感覚なんでしょうか?
キョーコをハダカにした回はアンケート結果がいいんですかね?
夏コミの時にみんな國生さん、桃子、果歩をリクエストする中、
(私がサークルを訪れた際に置いてあった色紙やスケブには、
 ことごとく上記の3人が描かれていた)
「我聞をお願いします」と要求して藤木氏に「珍しいね」と言われた人間の言うことは
やはりマイノリティに属していると見るべきなのか!?

2010年04月20日

岸辺露伴ルーヴルへ行く 中編

岸辺露伴の年齢は27歳。
前編の過去エピソードは露伴17歳。
そして岸部露伴のデビューは16歳。
……あれ? 何か奇妙なものを感じる……
あと、露伴がこの年齢だとすると、仗助達の年齢は22~23歳ではないのか?
何故に露伴と会話をしている彼らは学ランなのか?
ダブりまくったのか?

というのが、前編までの疑問。

そして、今回。
山村仁左右衛門の絵がルーブルに寄贈されたのは1989年。
係員の言によれば、それは20数年前とのこと。
……おや?
露伴が27歳ということは、時代設定は2006年くらいだと思っていたのだが、
どうも2010年現在辺りを想定して描かれているようだ。
つまり、仗助達は20代後半になっても学ランを着ているということになるのだが……

話は面白いが、設定の細かいところが気になってならねえ。

2010年04月06日

てすと

てすと

最近のコメント