2010年02月21日

ミキストリII 1巻

第一章 死神復活編1~2話
第二章 ヴィリル教団編1~4話

が収録。

なんともおかしな時系列は単行本でも修正されず。
それどころか、巻来先生のコメントで混乱は加速。

本作「ミキストリII」は「ミキストリI」の3年後から始まる物語です。

一応前作における時間経過を再確認すると、

メキシコにてマスト・アントニオ事件勃発
→(3年経過)
→恵子奪還
→(世界中でなんか色々してるうちに2年経過)
→最終章・天狗の帰還
→(9ヶ月経過)
→エピローグ


である。
ところがどっこい、ミキストリ2では、
ミキストリIでの出来事は全て2年以内に起こったものとされているらしい。
細かい時間経過が話の大勢に影響を及ぼすような内容ではないので、
この程度の間違いは別にどうでもいいっちゃあいいのだが、
単行本でも直されないどころか巻来先生自身が豪快に間違っているのはチト気になる。
フーム。

2010年02月07日

重箱の隅つつき~うしとらの思ひ出

・ヒョウの浄眼が初登場時だけは左目だった。
 単行本3巻の表紙のイラストでも左目が青く光っている。

・「白面の者が四度目覚める時に」
 「白面の者を四度眠りにつかせるために」という言葉の意味が最後までわからない。
 (何かの慣用表現か? それとも現在のお役目が3代目であることと関係あるのか?)

・重機に文字通り刃が立たなかった鎌鼬の刃が、
 終盤には普通乗用車はおろかバスや銃弾を両断できるほどにパワーアップしていた。
 (風狂い~妖大戦、かがりととらおつかいに)

・「東西の妖<黒炎<うしおととら<強化黒炎<東西の妖」という奇妙な不等号も気になるが、
 東西の妖に遅れをとったキリオと九印が、東西の妖を一方的に苦しめた黒炎の群れを、
 こともなげに殺しまくっていたのも不思議である(季節石化)。

・白面との決戦が6月だと散々伏線を張りまくった割に実際の戦いが行われたのは4月。
 (「季節石化」の段階でもその伏線を張っているので、
  制作サイドでも話の流れを制御できぬまま戦いになだれ込んだようだ)

・シャガクシャの年齢変更(獣の槍を見つけたのは400歳? 800歳?)や、
 「とらと白面の者の三千年にもわたる因縁」という台詞から推察するに、
 『とら 遠景I』の前後で白面誕生の時期が急に変更されたフシがある。

・白面に木っ端微塵に砕かれた獣の槍が復活する際、
 ご丁寧に封印の布まできっちり復活している。
 うしおにちぎられるためだけに蘇った封印の布。

2010年02月04日

腐れ坊主とババア~うしとらの思ひ出

いきなりでなんだが、お役目様に対する凶羅の態度が実にイイ。


凶羅、光覇明宗総本山に乗り込む。
→お役目様の無言のプレッシャーに目をそらす。

凶羅、奥の間でお役目様とサシで向かい合う。
→無言で目をそらしたまま。

凶羅、お役目様に説教をくらう。
→名前を呼ばれて初めて顔を向ける。でもだんだんずれていって、また目を背ける。

お役目様が死亡フラグ発言をする。
→凶羅、顔を上げてババアを狙う奴は殺す発言。初めて真っ直ぐ目を見ての発言。

お役目様、凶羅を泊めていこうとする。
→凶羅、逆らいまくるもなんとなく服従。


たった3ページの何気ないやり取りなんだけど、
態度の節々に凶羅のおばあちゃんっ子ぶりが滲み出ている。
今のやんちゃな自分が後ろめたいのね……

2010年01月11日

工事現場の坂口さん~うしとらの思ひ出

以前、うしとらが好きな会社の同僚と話したことがあった。
その際の私の言葉、
「今人気投票をやるなら、俺は断然工事現場の坂口さんに入れるね!」
相手は「本音は潮やとらの方が好きな癖にそんな事を!」と猛反発だったけれども、
自分としては本気の言葉だったりする。

そもそも潮だとかとらにカッコイイ場面が多いのは彼らが主人公だからであり、
カッコイイ場面でカッコイイ事を言って決めるのはいわば彼らに与えられた宿命だ。
そして彼らにはそれを貫くだけの力が与えられている。

かたや坂口さんは単なる脇役で、普通のおっさんである。
小夜や水乃緒のように異能者というわけでもないし、
詩織やミノルのように妖と縁があるわけでもない。
香上や片山のように潮達と深い縁を持ったわけでもない。
それどころか、タツヤや徳野のように妖のトラブルに巻き込まれてさえいない。
たまたま自分の仕事場で、潮達がガンガンバキバキしていたというだけである。
そもそも出番が2話しかないし、台詞も3つだけだ。
下手すれば、名前を覚えていない読者も多いかもしれない。
(前述の同僚には「工事現場の坂口さん」では通じなかった)
モブに毛の生えた程度の存在に過ぎない。
しかし、逆にそれだからこそ、彼の言動には魅力が溢れている。

彼の立場になって考えてみよう。
早朝に工事現場に出勤してみれば、目の前にうさんくさいバケモノどもが。
さらに現場がメチャクチャになっている。
近くの村で得体の知れない大量殺人事件が起きている事も思い当たったかもしれない。
その状況で、このバケモノ達が人間に無害な存在であると思うほうが無茶である。
実際、彼らを発見した現場の人々は、潮たちに投石攻撃(子供か!?)を仕掛けたり、
潮たちを重機で潰そうとしたり、警察を呼ぼうとしている。
この間に坂口さんがどういう行動をとっているかは不明だが、
少なくとも同僚達を敢えて止めようとはしていないだろう。
ガソリンに引火した時も同僚達と一緒に逃げようとしていた。
しかし、そこで潮が助けを求めた時に、坂口さんの数少ない出番が始まる。

「なんかこまってるみてーじゃねえか」
「オレは人間だからよ! 助け呼んでる者ほっとけねえって」

即座に逆走、潮たちを助けに走る。
同僚達も坂口さんに感化されたか救助活動に協力する。
普通なら考えられない行動である。
「全く得体の知れない連中を」「自分の命を危険にさらしてまで」
「助けを求められたという理由だけで助ける」

ここまでのことができたキャラが他の重要キャラやゲストキャラにどれだけいただろうか?
潮と共に人助けした連中には「己の弱さを乗り越える覚悟」だとか
「自分と関わりのある誰かを助けようとする決意」が背後にあるのがほとんどで、
坂口さんのように理屈も何もない「人情」ただそれだけで動くキャラは稀だった。
潮や麻子、真由子のようなメインキャラを除くと片山や香上くらいのものだ。
(ヤスは事情がなくても助けそうだが)

そう考えると坂口さんは潮にさえ劣らぬ人情と熱い魂の持ち主であるように思えてくるのである。
……考えすぎだろうか?

2009年12月15日

最近思うこと~勉強の話

大学出るくらいまでは、学校の勉強なぞ大して役に立たないと考えていたけれども、
最近はその考えが大分変わってきた。
やはり、学校で学ぶ内容は社会に出てからも役に立つのである。

しかし、少なくとも高校までで習う内容は基本の基本に過ぎず、
それだけでは単なる数字パズルや暗記力テストといったお遊びでしかない。
極端な事を言えば、大学に行かないのであれば勉強などするだけ無駄だ。
日常生活するだけなら小学校レベルの算数までで十分である。

あと、今でもスゴイ疑問に思っていることが一つ。
何故英語の試験に英和辞典を持ち込めないのだろうか?
英語を学ぶとは、口頭で英語でのコミュニケーションを可能とすること、
英文で書かれた文章を読み取ること、そして英語での記述を行えるようにすることの3つだが、
そこに『無数の単語を暗記しておくことの必要性』は特に感じないのだが。

結局、学校を出るまで授業の内容に必要性を感じなかったのは、
学校ではそれらの情報を「受験に必要な知識」として詰め込むだけだからなんだよな。
受験で出てくる内容なんぞ、その上にあることを理解する上で必要な単なる通過点なのに、
それを目的にしてしまっているから。
これは受験戦争の弊害のように思えてならない。

というわけで、現在の学生諸君には以下のメッセージを送りたい。

『学校で学ぶ内容は社会で十分役に立つ。
 ただし、テストで点数とれる程度のレベルじゃまるで役に立たねえぞ』

2009年11月30日

坂の上の雲~自己流司馬遼太郎論

この小説の内容は明治海軍を褒め称えること、
ロシアに対する私怨プンプンの怒りをぶつけること、
そして旅順攻略戦における大損害の責任を乃木と伊地知に押し付けること、
以上の3つ以外に何もない。
……正岡子規? ああ、そんなのあったね(笑)

私は司馬遼太郎という作家についてプラスマイナスゼロと評価しているのだが、
この小説に関しては胸を張ってマイナス側だと言い切れる。
あまりにも小説の内容に作者の『感情』が出すぎているのだ。
物語の筋を完全に見失う程に。
何の感情もこもっていないフィクションは無味乾燥なものだが、
『作者の考えを主張することそのものを目的としたフィクション』は有害無益である。
明治ヨイショのプロパガンダ小説と言ってもいい。

日本海軍サイコー思想の啓蒙や、
ネチネチしたロシア貶しについては、度が過ぎてうっとうしいだけなのだが、
乃木観についてはかなりの疑問を感じる。
私自身は軍事オタクでも歴史オタクでもないので、
乃木という人物の来歴やら人間像やらをどう描こうが知ったことではないけれど、
一つの作戦における損害の責任をその二人に押し付けようとしている姿勢が気になった。
彼らの能力が司馬の描写通りであったとしても、
そもそもそのような無能どもが幾万という兵の生命を左右する立場になりえたのは、
藩閥思想が横行する明治政府そのものに原因があるのではないか。
「藩閥にとらわれず有能な人材を登用する明治政府の素晴らしさ」はマメにアピールしていたが、
「将に将たる器でない者が分不相応な役職に抜擢される藩閥政府の歪み」については、
あまり積極的に描いていないように思われた。
まして、司馬は乃木に対する描写について、
『これが事実だ』と言わんばかりのコメントを残している(あとがき四)。

身も蓋もないことを言うと、私は『司馬史観』という用語についても、
その内容についても少々ばかばかしく感じている。
自分の小説が「事実に拘束されることが百パーセントにちかい」と考えるのは結構だが、
そうであるのならば自身が一旦書いた内容についてもっと責任を持って欲しい。
『外交』において伊藤博文が林の説得により親ロシア方策を一瞬で蹴ったにも関わらず、
次のページからそのやり取りがなかったものとして話が進んでいるのは何故なのだ?
(露都行きをいきなり投げようとして林に諌められたほどの伊藤が、
 次のページには親露方針積極派に逆戻りしている。
 また、伊藤は露都行きの目的を『対英交渉の一手』に切り替えた筈なのに、
 『外交』の最終ページではそれを「伊藤自身にとっておもわぬ効果」と描写している)
別の小説の例も挙げるならば、『最後の将軍』16章において、
岩倉具視の慶喜観が1ページで逆転しているのは何故なのだ?
(慶喜が辞官納地を受けるかもしれない、と言われて
 「おそらく、そうやろな」⇒「慶喜はそこまで思い切るまい」
 ……どっちだよ!?)
小説家が自身のイマジネーションから創作した部分の帳尻さえ合わせられない人間が、
正確な資料に基づいた歴史的事実の描写などできるのだろうか?
『スピンダブルアームをかけられるジェロニモを見て驚くジェロニモ』
を描いたゆでたまごとレベルが大差ないように思えるのだが。


私個人としては、『梟の城』や『燃えよ剣』や初期の短編など、
伝奇小説的側面が強い作品については高く買っているのだが、
中期以降の『資料の転載』に特化した作品群については読む時間が無駄と思っている。
この小説もまた然り。
『司馬史観』という言葉に知識人(笑)の方々のみならず、
司馬自身さえも踊らされていたように私には思えてならないのである。

2009年11月28日

遊んでる場合じゃない

ミキストリII開始から早一ヶ月。
色々と感想を書きたいと思いつつもほったらかしていたのは……
い、言えぬ!!
エルミナージュ2に半端なくハマっていたからなどとはとても言えぬ!!

……とまあ、そういうわけです。
もう真ボスと召喚契約結ぶくらいにはやりこんだので、
下のようなことをして遊ぶ余裕が出てきたり。
以下、フェイスロード悪用編。



メイン:痺れ粘糸
サブ:粘液+3
体:エクストリーム



メイン:村正
体:黒糸縅



メイン:サイドデスサイズ
手:死神の小手



メイン:輝く指
体:紋章のローブ



メイン:トゲの蔦
サブ:ミッシングリング
体:ハンターガード



メイン:三光剣
サブ:三光剣
体:忍者装束


それなりに元ネタを意識した装備をさせてみたが、霊気の装備がイマイチである。
悪魔サイド覚醒時の見た目が侍っぽいので侍にしてみたが、
霊気っぽい装備はどっちかというと君主に多いんだよな。
魔君の鎧とか。
今からでも作り直すかなあ……
逆に慶子はかなり満足の行くファッション。
年齢はまだいじくらず。
というか、年齢は調整が意外とめんどい。

という具合に、色々と楽しいですぜエルミナージュ2。超オススメ。

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